2018年12月、第30号をもって終刊となった怪談専門誌『幽』を入手した。
ここに平成にデビューした人気ホラー漫画家うぐいす祥子、押切蓮介の対談が収録されており、おもしろく読んだ。
押切先生は元々怪談好きで、人に話して聞かせることのできる怪談のレパートリーが300もあるそうだ。
対談場所となった仕事部屋にも何やらいわくがあり、深夜になるとエレベーターホールのあたりでかさこそと物音がするらしい。霊感(のようなもの)があるかどうかは別として、自ら怪異を感じる感性が備わっているということだろう。
そんな押切先生が収集した実話怪談をもとに漫画を描いて『幽』で連載していた作品が、1冊の本としてまとまっている。『暗い廊下とうしろの玄関』だ。
今日はこの本を、私、怪談マニアのクロジョ(@BkGiovy)が紹介する。
怪談『赤い家』の消失
この単行本には8ページずつの短い怪談漫画が19編収録されている。
一番目の話は『赤い家』と題して、押切先生が18歳のときの体験談を描いたもの。
マンションの中で次々に不吉な事件が起きた挙句、父親が失踪してしまったらしい。その後押切先生はさらに不吉な夢を見て「ああ、父はもうこの世にいない」と直感するのだった……。
ところが2005年にこの漫画を発表した後しばらくして、押切先生の父が生きており、同じ出版界で仕事をしていたことがわかる。
2013年に父と再会すると同時に、押切先生の中にあった『赤い家』という怪談は消えてなくなった。
押切先生の怪談熱が冷めてしまったのには、もしかしたら、この出来事も関係しているのではないか。
死んだとばかり思っていた父親が生きていて、申し訳なさそうに出てきたら、そりゃあガッカリするだろうし、恥ずかしいような複雑な気持ちになるだろうな……。
各話の末尾にこうした後日談やリアルのエピソードがおまけとして記されているのが、この本の特徴であり、おもしろいところだ。
恐怖の『市松人形』
『幽』の対談で押切先生は「怖い漫画」として、山岸凉子『私の人形は良いお人形』を挙げていた。これは1986年に発表された短編で、市松人形がどこまでも追ってくる話だ。
押切先生は「山岸先生がこれを体験したんじゃないか」というぐらい真に迫っていて、怖いという。
そういう押切先生も、市松人形が登場するエピソードを描いている。2007年発表の『市松人形』だ。
タンスの上にある市松人形が動いた話。
この図が、また山岸凉子作品を彷彿とさせる。
「こんな人形がうちにあったけ……?」と見覚えがない点も、山岸作品を踏襲している。
押切先生がアシスタントの女性から聞いた話をもとに構成したというが、山岸作品のオマージュらしきエッセンスがちりばめられていておもしろかった。
押切先生推薦の『私の人形は良いお人形』は、山岸凉子セレクションの1巻に収録されている。
『愚か者共に私達の悲鳴は聞こえない』への共感
この話は、一家心中があった廃屋に土足で入り込み荒らしていく若者たちを、幽霊の立場から見た作品だ。「静かにしていたいのにじゃまされ、家を踏み荒らされ、悲しいやら情けないやら」と幽霊の気持ちが切々と語られる。
作中の幽霊は白っぽい人の形で描かれ、逆に、生きている人間が写真風のリアルなシルエットで画面に入り込んでいる。幽霊の方が正当な住人で、生きている人間がじゃまものという逆転現象を絵柄で表現しているわけだ。
おもしろい描き方だし、幽霊に感情移入するのも押切先生ならではだな〜と思う。
末尾のコラムでも、イタズラに心霊スポットに行って場を荒らす人たちに対する嫌悪感が激しく表明されており、読むとしーんとした気持ちになる。
私個人の意見としても、こういうところに行って騒ぐのは不謹慎だし失礼だろうと思う。
怪談はあくまでお話として楽しむべきもの、あるいは「お化け屋敷」のようなアトラクションで体験すべきものであって、実在の人や事件を冒涜するような行いは善くないと感じる。
終わりに
2005年〜2013年の8年にわたって『幽』で連載する中で、押切先生の中で心境の変化があった。心霊肯定派から心霊否定派へ転向、それでも未だに「何かある」と思っているそうだ。
つまり、人の不幸話を「怪談」として消費することの罪深さに嫌気がさしたということだろう。その上で、改めて真摯に怪談に向き合った結果どういう作品が生まれるのか、おもしろそうだ。